2006年 07月 24日
人生長いか、短いか |
ごく当たり前過ぎることなので、驚いてしまうことがある。時々
その人の頭の中がどうなっているのか覗いてみたくもなる。信じら
れないことを言うから。
人生長いか、短いか?
「短い」。当たり前じゃないですか。
みなさんは、どうやって時間を計っているのか分かりませんが、
人によっては長いそうです。そういう人は、休みの日でも目は冴え
てしまっているのだが、かといって特にやりたいこともないという
状態なので、退屈するのでしょうか。
だいたいにおいて、時間の経ち方というものは、年を取るだけ早
くなるというではないですか。1年のサイクルが自分なりに早いと
感じている昨今、自分より年輩の人から「長い」などと結論づけら
れると、「その時間ください」と言いたくなりますよ。
ここ1年内で、1、2ヶ月間、なにかにじっくりと打ち込めたり
していますか?
様々な年齢層の人が読者にいるのでしょうから、一概には言えま
せんが、多くは仕事・家庭が生活の中心にきてしまって、そういっ
た時間も取れずに、一回り季節が回ってやしませんか?
私はこんな風に時間を計っています。
30歳から60歳まで、ここでなんとか1年に一つ何かをがんば
ったとしますよね。その間に、30回の夏があり、30回の冬があ
る。おそらく60代が近づくと、30代と同じことをするのにも苦
労するでしょう。でも、平均して1年に一つ何かをやったとする。
それでも、30個なのですよ。
例えば分かりやすく、1年に1本「長編」を書き上げることを目
標としましょうか。うまくいって30本しか残りません。これが何
かのはずみに隔年となったら、定年を迎える身に15本の原稿。
これって少な過ぎやしませんか?
とまぁ、私なりの時間の数え方が特殊というつっこみで終わって
しまいそうですが、この60歳になった時という考え方は、リアル
なところがあってぞっとするんですがね。
30歳の時、某氏が言った、「あと60歳までと考えたら、もう
一回、30年分も生きるのか。そう考えると長過ぎるな、人生って」
じゃ、私にください、その30年!
もちろん、私のような数え方をする必要のない、幸せな60歳の
方も多いわけで、何もそんな方を非難するわけではありません。普
通に考える年の数え方というものは、30歳近くなったら子どもが
できて、後は子どもの年を数えて過ごしたりするものなのでしょう。
何度も繰り返しますが、「作品作りなんぞに追い立てられなかっ
た人生とは、幸せなものである」。このテーゼは正しいのでしょう。
最終的には、長編が人生上1本しか作れていないワタクシの(長
編ではなく小編という説もあり)グチで終わってしまいそうです。
私は蓄積型の人間なので、あと40年ほどじっくりと読書をして
から腰を上げられたら、結構重厚なものが書けるような気はしてま
す。その自信はなぜかあるのですね。ドストエフスキーもめじゃな
いやつです。(これはウソ)
でも、人生はDNAが決めた(?)長くても80年くらいの間に
決着をつけなければならない。これをなぜに長いと言い切れよう。
私は亀の歩みで進みながら、未熟なうちにいろいろと発言をして
いかねばならない。だから私は、間違えたり、取り違えたり、理解
できなかったり、表層だけで知ったかぶったり・・・。
それもこれも人生が短いからいけないのだ。
「第24回」
(2001・8)
その人の頭の中がどうなっているのか覗いてみたくもなる。信じら
れないことを言うから。
人生長いか、短いか?
「短い」。当たり前じゃないですか。
みなさんは、どうやって時間を計っているのか分かりませんが、
人によっては長いそうです。そういう人は、休みの日でも目は冴え
てしまっているのだが、かといって特にやりたいこともないという
状態なので、退屈するのでしょうか。
だいたいにおいて、時間の経ち方というものは、年を取るだけ早
くなるというではないですか。1年のサイクルが自分なりに早いと
感じている昨今、自分より年輩の人から「長い」などと結論づけら
れると、「その時間ください」と言いたくなりますよ。
ここ1年内で、1、2ヶ月間、なにかにじっくりと打ち込めたり
していますか?
様々な年齢層の人が読者にいるのでしょうから、一概には言えま
せんが、多くは仕事・家庭が生活の中心にきてしまって、そういっ
た時間も取れずに、一回り季節が回ってやしませんか?
私はこんな風に時間を計っています。
30歳から60歳まで、ここでなんとか1年に一つ何かをがんば
ったとしますよね。その間に、30回の夏があり、30回の冬があ
る。おそらく60代が近づくと、30代と同じことをするのにも苦
労するでしょう。でも、平均して1年に一つ何かをやったとする。
それでも、30個なのですよ。
例えば分かりやすく、1年に1本「長編」を書き上げることを目
標としましょうか。うまくいって30本しか残りません。これが何
かのはずみに隔年となったら、定年を迎える身に15本の原稿。
これって少な過ぎやしませんか?
とまぁ、私なりの時間の数え方が特殊というつっこみで終わって
しまいそうですが、この60歳になった時という考え方は、リアル
なところがあってぞっとするんですがね。
30歳の時、某氏が言った、「あと60歳までと考えたら、もう
一回、30年分も生きるのか。そう考えると長過ぎるな、人生って」
じゃ、私にください、その30年!
もちろん、私のような数え方をする必要のない、幸せな60歳の
方も多いわけで、何もそんな方を非難するわけではありません。普
通に考える年の数え方というものは、30歳近くなったら子どもが
できて、後は子どもの年を数えて過ごしたりするものなのでしょう。
何度も繰り返しますが、「作品作りなんぞに追い立てられなかっ
た人生とは、幸せなものである」。このテーゼは正しいのでしょう。
最終的には、長編が人生上1本しか作れていないワタクシの(長
編ではなく小編という説もあり)グチで終わってしまいそうです。
私は蓄積型の人間なので、あと40年ほどじっくりと読書をして
から腰を上げられたら、結構重厚なものが書けるような気はしてま
す。その自信はなぜかあるのですね。ドストエフスキーもめじゃな
いやつです。(これはウソ)
でも、人生はDNAが決めた(?)長くても80年くらいの間に
決着をつけなければならない。これをなぜに長いと言い切れよう。
私は亀の歩みで進みながら、未熟なうちにいろいろと発言をして
いかねばならない。だから私は、間違えたり、取り違えたり、理解
できなかったり、表層だけで知ったかぶったり・・・。
それもこれも人生が短いからいけないのだ。
「第24回」
(2001・8)
by mori-shizuno
| 2006-07-24 12:00
| POETRY WORDS