2006年 06月 13日
飛躍する言葉 |
ハイホー・ゴールド! ハイホー・マネー!
洪水の夜にはもってこいのステップさ
詩的な君は、死んで、死んで!
顔を洗って一昨日おいで
なけなしのキッス! 風に舞って
駆け抜けのキッス! 夢に見るように
踏切に残るハイヒール
凍りついたシネマショー
あんなに柔らかいサスペンション
―――森博嗣「詩的私的ジャック」(抄)
「森博嗣」というミステリィ作家をご存じでしょうか。一般的に
は理系ミスティなどと、「ダ・ヴィンチ」誌辺りでは紹介される作
家です。
本業は、某国立大学の工学部助教授。元々、マンガの同人誌界で
は名が通っていた人らしく、イラストを含め多才な人なのですね。
ここでは、その作品の中で、詩を扱ったところに注目してみます。
上記の詩は、作品中では作中人物が作ったものとして登場いたし
ます。もちろん実際は、森氏の創作であります。ロック歌手という
設定ですので、通常では曲と合わせて評価しなければならないとこ
ろですが、小説ですので活字としてしか分かりません。(ここら辺
の問題もおもしろいところでして、いつか書いてみたいと思ってい
ます)
私は初めてこの詩を読んだ時、言葉の飛躍力・ばらつきにうなり
ました。どこがどうとは言いにくいところなのですが、「ピンとき
た」わけです。
私はいわゆる「現代詩」というものは、あまり分かりません。け
れども、あまりに平板過ぎる詩というものも、好みではないのです
ね。説明調といいますか、単なる文章を短く切ってみただけにしか
見えないといいますか・・・。
適度の「飛躍」を持ったものが好きなのです。
ところが、自作してみますとこれがまた難しい。でたらめを並べ
て、「これが飛躍だ」と言い切ることはできます。でも、そうでは
ないことは自分の心がよく知っています。
いまのところは、他人の作品で「ピンときたもの」を心に留めて、
その感触を大切にしています。思いもかけない言葉がつながっては
いるのだが、強い請求力を持ってつながっている、おもしろい、気
持ちいい、そういうものをです。(この「飛躍」の語の定義を言葉
でやろうとしますと、自分でも混乱しますので、かなり曖昧に使っ
ていると思っていただいて結構です)
そういった中、森氏の作品に出会ったわけですが、その後、彼の
エッセイを読み、さらに嬉しい発見をいたしました。
以下引用します。
(エドガー・アラン)ポーの詩には、今までに見たことのないよ
うな重厚な表現があって、とにかく面白かったですね。僕は歌のよ
うに何回も繰り返して詩を読みますけど、10代20代の頃は本当
に好きでした。言葉の使い方というか、システムを詩作で真似した
ものです。形容詞と名詞の良い組み合わせとか、わざとそれをずら
した使い方とか、そのテクニックは今でもものを書くときにはとて
も参考になります。もちろん、それをそのまま使うわけではなくて、
読んでいて「あっ、良いな」と感じたときに、どうしてそこが良か
ったのかを考える。そうすると、同じシステムを使えるようになる。
言葉をなるべく広い範囲から持ってこられるというのが、ものを書
く力なのではないのか、と僕は思います。
この本は、僕にとって、良いタイトル、気の利いたフレーズを思
いつきたいな、というときにパラパラと捲る一冊です。読んでいる
うちに心が洗われるというか、たまに読むと、心の中の刃物が良く
切れるようになります。ちょっと切れ味が鈍ってきたな、と思った
ときに読む。そういう本というのが、どなたにも何冊かあるんじゃ
ないでしょうか。
―――森博嗣「森博嗣のミステリィ工作室」
そうなのです。「この方は、きちんとシステムを体得して、自覚
的に作っていたのだ」というところが嬉しかった。
森氏の作品タイトルを本屋でのぞいてみるとよく分かります。私
はあまたある本の中から、「タイトルだけで」この人を選び取った
くらい光っていましたから。
私などは、タイプ的にフォロワーなのだと思います。何も手本の
ないところからいきなりあっと驚くようなものを作り出す人を「天
才型」というのならば、私は手本を消化し発酵させて取り出す「秀
才型」なのでしょう。
もちろん、手本の手法のみに固執しているわけではありませんの
で、必ず似たようなものを作るわけではないのですが、いい本を読
んだ後の方が頭の中にいろいろとアイディアが浮かびます。他人の
作品が刺激になるようです。森氏の、「心の中の刃物が良く切れる
ようになる」という表現は素敵ですね。
それでもです。どうしても自分の作品に足りないもの。補いきれ
ないもの。頭だけでは作りきれないもの。これが「飛躍力なんだよ
なぁ」と常に思っています。
言葉が冒険をしない。
堅実に思念の周りをなぞってしまう。
それを強く感じています。
人間的にくどいのかな、とも思います。説明する時も、念を押し
てしまうタイプだし。
時々は飛躍を意識して、あまりごてごてと「推敲」にかからない
うちに言葉を並べてみたりします。それでうまくいったものがある
のかどうかは分かりません。
結局は他人の言葉の内に飛躍を見つけ、「はっ」となってうらや
むばかりなのです。
「第21回」
(2001・8)
洪水の夜にはもってこいのステップさ
詩的な君は、死んで、死んで!
顔を洗って一昨日おいで
なけなしのキッス! 風に舞って
駆け抜けのキッス! 夢に見るように
踏切に残るハイヒール
凍りついたシネマショー
あんなに柔らかいサスペンション
―――森博嗣「詩的私的ジャック」(抄)
「森博嗣」というミステリィ作家をご存じでしょうか。一般的に
は理系ミスティなどと、「ダ・ヴィンチ」誌辺りでは紹介される作
家です。
本業は、某国立大学の工学部助教授。元々、マンガの同人誌界で
は名が通っていた人らしく、イラストを含め多才な人なのですね。
ここでは、その作品の中で、詩を扱ったところに注目してみます。
上記の詩は、作品中では作中人物が作ったものとして登場いたし
ます。もちろん実際は、森氏の創作であります。ロック歌手という
設定ですので、通常では曲と合わせて評価しなければならないとこ
ろですが、小説ですので活字としてしか分かりません。(ここら辺
の問題もおもしろいところでして、いつか書いてみたいと思ってい
ます)
私は初めてこの詩を読んだ時、言葉の飛躍力・ばらつきにうなり
ました。どこがどうとは言いにくいところなのですが、「ピンとき
た」わけです。
私はいわゆる「現代詩」というものは、あまり分かりません。け
れども、あまりに平板過ぎる詩というものも、好みではないのです
ね。説明調といいますか、単なる文章を短く切ってみただけにしか
見えないといいますか・・・。
適度の「飛躍」を持ったものが好きなのです。
ところが、自作してみますとこれがまた難しい。でたらめを並べ
て、「これが飛躍だ」と言い切ることはできます。でも、そうでは
ないことは自分の心がよく知っています。
いまのところは、他人の作品で「ピンときたもの」を心に留めて、
その感触を大切にしています。思いもかけない言葉がつながっては
いるのだが、強い請求力を持ってつながっている、おもしろい、気
持ちいい、そういうものをです。(この「飛躍」の語の定義を言葉
でやろうとしますと、自分でも混乱しますので、かなり曖昧に使っ
ていると思っていただいて結構です)
そういった中、森氏の作品に出会ったわけですが、その後、彼の
エッセイを読み、さらに嬉しい発見をいたしました。
以下引用します。
(エドガー・アラン)ポーの詩には、今までに見たことのないよ
うな重厚な表現があって、とにかく面白かったですね。僕は歌のよ
うに何回も繰り返して詩を読みますけど、10代20代の頃は本当
に好きでした。言葉の使い方というか、システムを詩作で真似した
ものです。形容詞と名詞の良い組み合わせとか、わざとそれをずら
した使い方とか、そのテクニックは今でもものを書くときにはとて
も参考になります。もちろん、それをそのまま使うわけではなくて、
読んでいて「あっ、良いな」と感じたときに、どうしてそこが良か
ったのかを考える。そうすると、同じシステムを使えるようになる。
言葉をなるべく広い範囲から持ってこられるというのが、ものを書
く力なのではないのか、と僕は思います。
この本は、僕にとって、良いタイトル、気の利いたフレーズを思
いつきたいな、というときにパラパラと捲る一冊です。読んでいる
うちに心が洗われるというか、たまに読むと、心の中の刃物が良く
切れるようになります。ちょっと切れ味が鈍ってきたな、と思った
ときに読む。そういう本というのが、どなたにも何冊かあるんじゃ
ないでしょうか。
―――森博嗣「森博嗣のミステリィ工作室」
そうなのです。「この方は、きちんとシステムを体得して、自覚
的に作っていたのだ」というところが嬉しかった。
森氏の作品タイトルを本屋でのぞいてみるとよく分かります。私
はあまたある本の中から、「タイトルだけで」この人を選び取った
くらい光っていましたから。
私などは、タイプ的にフォロワーなのだと思います。何も手本の
ないところからいきなりあっと驚くようなものを作り出す人を「天
才型」というのならば、私は手本を消化し発酵させて取り出す「秀
才型」なのでしょう。
もちろん、手本の手法のみに固執しているわけではありませんの
で、必ず似たようなものを作るわけではないのですが、いい本を読
んだ後の方が頭の中にいろいろとアイディアが浮かびます。他人の
作品が刺激になるようです。森氏の、「心の中の刃物が良く切れる
ようになる」という表現は素敵ですね。
それでもです。どうしても自分の作品に足りないもの。補いきれ
ないもの。頭だけでは作りきれないもの。これが「飛躍力なんだよ
なぁ」と常に思っています。
言葉が冒険をしない。
堅実に思念の周りをなぞってしまう。
それを強く感じています。
人間的にくどいのかな、とも思います。説明する時も、念を押し
てしまうタイプだし。
時々は飛躍を意識して、あまりごてごてと「推敲」にかからない
うちに言葉を並べてみたりします。それでうまくいったものがある
のかどうかは分かりません。
結局は他人の言葉の内に飛躍を見つけ、「はっ」となってうらや
むばかりなのです。
「第21回」
(2001・8)
by mori-shizuno
| 2006-06-13 13:00
| POETRY WORDS