2006年 02月 19日
ベッドの中でコールを待つ女 |
これは随分前に読んだ話で、実は元ネタが何であるか、いまだ分
からないということをお断りしておきます。ただし、詳細なデータ
はあまり必要ではないと判断しまして、私のポリシーには反します
が挙げさせていただきます。
ちなみに私の記憶では、これは椎名誠氏の著作でのエピソードと
思われまして、めぼしいところを拾い読みしたのですが見つけられ
ませんでした。私は文章上の引用を曖昧にすることを非常に嫌う者
なのですが、今回は手をつくした上、断念いたします。有益なご示
唆がございましたらお願いいたします。
本の中で私の心に残ったエピソードにこんなものがありました。
主人公である僕に、恋人もしくは親しくなりかけた女性がある頼
み事をします。それは深夜にアルバイトをする僕に、電話をかけて
きて欲しいと言うのです。
いぶかしい思いを抱きながら、僕は屋外の公衆電話よりコールを
します。すると彼女は「今、そこは寒いの?」といった質問をして
きて、自分の暖かいベッドの中の優位性を楽しんでいるようだった、
という内容でした。
このエピソードに私は、ゾクゾクするような甘美な感覚をいだき
ました。本の中では、この話は肯定的に扱われていなかったと思い
ますが、私は幼少の頃、似たような感覚が特に強かったものです。
私の両親は非常に宵っ張りでして、だいたい午前0時を回ってか
ら眠っているようでした。それに私は非常に助けられたのです。小
学生の頃の自分にとって、そこまで起きていることは不可能でした
が、「自分が眠りにおちいっても、まだまだ両親は起きていてくれ
る」と考えることは、非常な安心感がありました。私は寝床という
暖かい場所から、外部でまだ動いている人々の物音を遠くに聞くこ
とが快楽だったのです。
その快楽・安心感の欲求を突きつめた先に、強い死への不安を自
覚するのはまだまだ先のことでした。
「ラジオに愛を」の回でも述べましたが、かつてのテレビは午前
0時を回れば、ほとんどの局が死に絶えました。ラジオに出会って
いない幼少の私にとって、深閑とした静寂の中で、死に絶えていな
いものとは、居間から漏れる弱い光と、あくまでひそひそ声で聞こ
える両親の雑談の雰囲気だったのです。まだこの頃は、地球の自転
など理解もしていません。あくまで自分を中心に見て、今この世界
すべてに凍りつくような闇夜がせまっていると考え、震えました。
ですから大晦日からの何日間は、幼少の私にとっては「悪魔」か
ら「光」を取り戻す一大イベントでした。12月31日は午前0時
より初詣に出かけるのが我が家の慣例。そこには深夜にもかかわら
ず、めくるめく光と人の行列。世界が死に絶えていないことを証明
しています。
そして帰宅後、午前3過ぎまでお好み焼きを食べながら、24時
間体制に入ったテレビにて、新春初笑い寄席や、古いコンバット物
の映画などを見ていたものです。それからしばらく正月明けまでは、
テレビは24時間死滅することなく、私を安心させました。
そういうわけでしたから、幼少の私が友人に、「眠る時、電気が
ついていてもいいくらいだ。遠くで人の話し声や物音(これは工事
の物音でもいいし、台所の洗い物の音でもいいのです)がしている
と安心する」といったことを話しても、いまいち伝わらなかったの
は仕方ありません。
そんな私も中学・高校ともなれば、深夜の時間帯をラジオと共有
するようになります。その頃になれば、もはや家族で最も宵っ張り
なのは私でした。深夜の気配をすでに好ましいものとして認知する
に至っています。私は中学・高校を福島で過ごしたのですが、深夜
になればなるほど、東京発のニッポン放送や、遠く関西の毎日放送
の入りがよくなりました。
そんな私にも、ラジオの「魔の時間帯」は存在します。24時間
体制のラジオでしたが、日曜日だけは深夜2時を過ぎますと、月曜
日の午前5時まで一時休止する局がほとんどなのです。そういう状
況ですから、ラジオっ子としましては、人の話のぬくもりを求めて、
いろいろとチューナーを回します。ときにはロシア語(?)と思わ
れる言葉も飛びこんできます。ちなみに、これは高校時代の話です。
「次の日の学校は?」とお思いでしょうが、毎日深夜3時過ぎまで
起きていて朝は6時に起きていたのです。もちろん残りの睡眠は、
往復の汽車(電車ではない)と授業中です。
そんな理由で、東北在住の私が、日曜深夜のラジオ大阪「ぬかる
みの世界」を聞くことになるのは、この時期必然に近いものでした。
関西以外のリスナーはほとんどこのパターンで、超ローカルのこの
番組を発見したものでしょう。
この番組は当時知る人ぞ知るというアングラなもので、笑福亭鶴
瓶氏と、新野新氏という放送作家による雑談が主の番組でした。関
西のテレビを見たことのない私は、内容に挟みこまれる「上岡龍太
郎」「パペポTV」「前田五郎」「突然ガバチョ!」「笑福亭笑瓶」
などが実体として分からず、ただ想像で一生懸命ついていった思い
出があります。
その中である時、こんな手紙が紹介されました。
手紙の主は女性で、「ぬかるみの世界」を毎週楽しみにしている
のだが、一つ悩みがある。というのも、このラジオが終わると、全
放送が終了してしまう。それが毎週身を切られるようにつらい。せ
めてお二人の話を続けるのが無理であるのなら、スタッフの方が朝
まで何か音楽を流し続けてはくれぬだろうか、というものでした。
その時、私にはこの女性が何を求めているのかピンときたのです
が、鶴瓶氏は苦笑しながらこのようなことを答えたのです。
「そんなもん、自分でレコードでもかけたらいいがな」
私には分かります。この時の女性は、何も「音楽」が聴きたかっ
た訳じゃないのです。誰かが深夜働いて作られているラジオ番組に、
自分より先に休まれてしまうことがつらかったのです。だからせめ
て、放送局から今、誰かが曲をこちらに送り届けているというぬく
もりが欲しかったのです。そのことを教えてあげたかった。そんな
思い出。
「第19回」
(2001・11)
からないということをお断りしておきます。ただし、詳細なデータ
はあまり必要ではないと判断しまして、私のポリシーには反します
が挙げさせていただきます。
ちなみに私の記憶では、これは椎名誠氏の著作でのエピソードと
思われまして、めぼしいところを拾い読みしたのですが見つけられ
ませんでした。私は文章上の引用を曖昧にすることを非常に嫌う者
なのですが、今回は手をつくした上、断念いたします。有益なご示
唆がございましたらお願いいたします。
本の中で私の心に残ったエピソードにこんなものがありました。
主人公である僕に、恋人もしくは親しくなりかけた女性がある頼
み事をします。それは深夜にアルバイトをする僕に、電話をかけて
きて欲しいと言うのです。
いぶかしい思いを抱きながら、僕は屋外の公衆電話よりコールを
します。すると彼女は「今、そこは寒いの?」といった質問をして
きて、自分の暖かいベッドの中の優位性を楽しんでいるようだった、
という内容でした。
このエピソードに私は、ゾクゾクするような甘美な感覚をいだき
ました。本の中では、この話は肯定的に扱われていなかったと思い
ますが、私は幼少の頃、似たような感覚が特に強かったものです。
私の両親は非常に宵っ張りでして、だいたい午前0時を回ってか
ら眠っているようでした。それに私は非常に助けられたのです。小
学生の頃の自分にとって、そこまで起きていることは不可能でした
が、「自分が眠りにおちいっても、まだまだ両親は起きていてくれ
る」と考えることは、非常な安心感がありました。私は寝床という
暖かい場所から、外部でまだ動いている人々の物音を遠くに聞くこ
とが快楽だったのです。
その快楽・安心感の欲求を突きつめた先に、強い死への不安を自
覚するのはまだまだ先のことでした。
「ラジオに愛を」の回でも述べましたが、かつてのテレビは午前
0時を回れば、ほとんどの局が死に絶えました。ラジオに出会って
いない幼少の私にとって、深閑とした静寂の中で、死に絶えていな
いものとは、居間から漏れる弱い光と、あくまでひそひそ声で聞こ
える両親の雑談の雰囲気だったのです。まだこの頃は、地球の自転
など理解もしていません。あくまで自分を中心に見て、今この世界
すべてに凍りつくような闇夜がせまっていると考え、震えました。
ですから大晦日からの何日間は、幼少の私にとっては「悪魔」か
ら「光」を取り戻す一大イベントでした。12月31日は午前0時
より初詣に出かけるのが我が家の慣例。そこには深夜にもかかわら
ず、めくるめく光と人の行列。世界が死に絶えていないことを証明
しています。
そして帰宅後、午前3過ぎまでお好み焼きを食べながら、24時
間体制に入ったテレビにて、新春初笑い寄席や、古いコンバット物
の映画などを見ていたものです。それからしばらく正月明けまでは、
テレビは24時間死滅することなく、私を安心させました。
そういうわけでしたから、幼少の私が友人に、「眠る時、電気が
ついていてもいいくらいだ。遠くで人の話し声や物音(これは工事
の物音でもいいし、台所の洗い物の音でもいいのです)がしている
と安心する」といったことを話しても、いまいち伝わらなかったの
は仕方ありません。
そんな私も中学・高校ともなれば、深夜の時間帯をラジオと共有
するようになります。その頃になれば、もはや家族で最も宵っ張り
なのは私でした。深夜の気配をすでに好ましいものとして認知する
に至っています。私は中学・高校を福島で過ごしたのですが、深夜
になればなるほど、東京発のニッポン放送や、遠く関西の毎日放送
の入りがよくなりました。
そんな私にも、ラジオの「魔の時間帯」は存在します。24時間
体制のラジオでしたが、日曜日だけは深夜2時を過ぎますと、月曜
日の午前5時まで一時休止する局がほとんどなのです。そういう状
況ですから、ラジオっ子としましては、人の話のぬくもりを求めて、
いろいろとチューナーを回します。ときにはロシア語(?)と思わ
れる言葉も飛びこんできます。ちなみに、これは高校時代の話です。
「次の日の学校は?」とお思いでしょうが、毎日深夜3時過ぎまで
起きていて朝は6時に起きていたのです。もちろん残りの睡眠は、
往復の汽車(電車ではない)と授業中です。
そんな理由で、東北在住の私が、日曜深夜のラジオ大阪「ぬかる
みの世界」を聞くことになるのは、この時期必然に近いものでした。
関西以外のリスナーはほとんどこのパターンで、超ローカルのこの
番組を発見したものでしょう。
この番組は当時知る人ぞ知るというアングラなもので、笑福亭鶴
瓶氏と、新野新氏という放送作家による雑談が主の番組でした。関
西のテレビを見たことのない私は、内容に挟みこまれる「上岡龍太
郎」「パペポTV」「前田五郎」「突然ガバチョ!」「笑福亭笑瓶」
などが実体として分からず、ただ想像で一生懸命ついていった思い
出があります。
その中である時、こんな手紙が紹介されました。
手紙の主は女性で、「ぬかるみの世界」を毎週楽しみにしている
のだが、一つ悩みがある。というのも、このラジオが終わると、全
放送が終了してしまう。それが毎週身を切られるようにつらい。せ
めてお二人の話を続けるのが無理であるのなら、スタッフの方が朝
まで何か音楽を流し続けてはくれぬだろうか、というものでした。
その時、私にはこの女性が何を求めているのかピンときたのです
が、鶴瓶氏は苦笑しながらこのようなことを答えたのです。
「そんなもん、自分でレコードでもかけたらいいがな」
私には分かります。この時の女性は、何も「音楽」が聴きたかっ
た訳じゃないのです。誰かが深夜働いて作られているラジオ番組に、
自分より先に休まれてしまうことがつらかったのです。だからせめ
て、放送局から今、誰かが曲をこちらに送り届けているというぬく
もりが欲しかったのです。そのことを教えてあげたかった。そんな
思い出。
「第19回」
(2001・11)
by mori-shizuno
| 2006-02-19 22:00
| POETRY WORDS